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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)9613号 判決

原告

高橋昌子

高橋亨

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

杉山正己

堀千紘

浜中忠司

新井貞男

高村昇

被告

財団法人鉄道弘済会

右代表者理事

豊原廉次郎

右訴訟代理人弁護士

青木俊文

山本忠美

右訴訟復代理人弁護士

八代徹也

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告高橋昌子に対し、一億八三六六万四六四五円及び内金三二二七万二三〇二円に対する昭和五六年九月六日から、内金一億五一三九万二三四三円に対する昭和五九年二月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告高橋亨に対し、一二五万円及びこれに対する昭和五六年九月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告財団法人鉄道弘済会)

主文同旨

(被告国)

1 主文同旨

2 仮執行の免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件雇傭契約の締結

原告高橋昌子(以下「原告昌子」という。)は、昭和三五年一〇月一五日、被告財団法人鉄道弘済会(以下「被告弘済会」という。)との間に、雇傭契約(以下「本件雇傭契約」という。)を締結し、以後同被告の職員として勤務していた。

2  本件事故の概要

原告昌子は、昭和四四年四月二四日午前一一時ころ、東京都千代田区所在の国鉄秋葉原駅西口構内の駅前広場に面して設置された被告弘済会上野営業所管内八三号売店(以下「本件売店」という。)において販売員として勤務中、中腰の姿勢で商品を陳列していたところ、同売店に雑誌を運んできた東京鉄道荷物株式会社(以下「鉄道荷物」という。)の社員である平信二(以下「平」という。)運転の幌付き貨物自動車が後進してきて同売店に衝突し、その衝撃により、同売店内に備付けの書籍類を満載した棚板が落下して原告昌子の腰部を強打し、原告昌子は、右事故(以下「本件事故」という。)により、脊椎損傷の傷害(以下「本件傷害」という。)を負った。

3  本件事故についての被告弘済会の責任

被告弘済会は、本件雇傭契約に基づき、原告昌子の使用者として、同原告に対し、同原告が勤務に服するについてその生命及び身体に危険が生じないよう人的、物的環境を整備して同原告の安全を配慮すべき義務、具体的には、同被告の下請負会社である鉄道荷物に対し、車両運転者への安全教育を徹底させ、車両を後退させる場合には誘導員を配置する等の十分な安全策を講じさせるべき義務及び本件売店の棚板を固定する等して、衝撃により棚板及び陳列した書籍類が落下することがないようにすべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、その結果、本件事故を発生させ、よって、原告昌子に本件傷害を負わせた。

4  原告昌子の解雇

被告弘済会は、昭和四九年一一月一五日、原告昌子を解雇した。すなわち、被告弘済会の昭和四九年当時の就業規則五六条九号は、職員の解雇事由について、「業務上の傷病によって休業中の職員が、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)一九条の三(昭和四八年九月二一日法律第八五号による改正前のもの)により長期傷病補償給付を受けたときは、解雇できる。」旨規定しており、また、同規則五八条は、「職員が、業務上負傷し、又は疾病にかかり、療養のため休業する期間及びその後三〇日間は、解雇しない。」旨規定しているにもかかわらず、被告弘済会は、右各規定に違反し、原告昌子の本件傷害が業務上の傷害であるにもかかわらず、これを私傷病として扱ったうえ、同原告に対して労災法所定の長期傷病補償給付がされていないのに、本件雇傭契約を一方的に破棄した。

5  原告昌子の解雇についての被告らの責任

被告弘済会は、原告昌子を私傷病による長期欠勤を理由に解雇するため、昭和四七年当時の上野労働基準監督署(以下「本件監督署」という。)の署長及び担当官並びに鉄道荷物と不正に癒着し、被告弘済会の意を受けた被告国の公務員である本件監督署の署長及び担当官は、被告弘済会が原告昌子を解雇できるよう、その職務を執行するにつき、次のような一連の不法な措置をとった。

(一) 本件監督署の担当官は、本件監督署の署長が昭和四四年六月五日被告弘済会から原告昌子の負った本件傷害について労働者死傷病報告を受けたことがないにもかかわらず、右同日付けで被告弘済会から右労働者死傷病報告がされた旨の虚偽の報告書を作成した。

(二)(1) 労働省労働基準局長通牒昭和四一年一二月一六日基発第一三〇五号二(6)は、労働基準監督署長は、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の給付をした場合は、「遅滞なく労働基準局長に対し、債権発生等に関する通知を行うとともに、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠保険」という。)に対して求償するために必要な交通事故証明書(警察署長の証明が得られない場合には、労働基準監督署長が調査した事実に基づいて作成した証明書をもってこれに代える。)、保険給付内訳書及び念書を送付しなければならない。」旨規定している。

(2) ところで、本件事故については、警察署に対して事故の報告がされておらず、警察署長の右事故についての証明は得られないのであるから、本件監督署の署長は、本件事故について、殊に、加害運転者である平の本件事故についての昭和四四年一〇月二日付け報告書に記載された同人の住所と原告昌子の第三者行為災害届に記載された平の住所とが異なっている点について調査をしなければならないのに、これを怠り、右調査をすれば、平が無免許であることを明らかにできたのに、鉄道荷物の利益を図るため、故意に右無免許運転の事実を隠ぺいした。

(3) また、本件監督署の署長から前記の債権発生に関する通知を受けた労働基準局長は、前記通牒二(7)の定めるところに従って本件事故について調査及び確認をすることを怠り、違法に自賠保険に対して求償をして、自賠保険の保険金を騙取した。

(三) 労働省労働基準局長通牒昭和四〇年七月三一日基発第九〇六号及び昭和四一年二月一日基発第九八号「法三〇条の四の規定による徴収金の徴収について」Ⅲ一ロは、労災法三〇条の四第三号(昭和四四年一二月九日法律第八五号による改正前のもの)により政府が保険加入者から費用を徴収するについて、当該事故の発生原因が、他の行政庁の主管する危険防止に関する事項にかかるものである場合には、当該行政庁の意見を求めて処理することを要する旨規定しているところ、本件監督署の署長は、本件事故が平の無免許運転という道路交通法に違反する行為により発生したものであるにもかかわらず、これを主管する行政庁の意見を、故意に求めることをしなかった。

(四) 本件監督署の署長は、労働省労働基準局長通牒昭和四〇年七月三一日基発第九〇六号及び昭和四一年二月一日基発第九八号「法第三〇条の四の規定による徴収金の徴収について」Ⅴ一の規定に違反し、所轄局長に対し、保険給付に要した費用の一部を徴収する通知を、故意に行わなかった。

(五)(1) 労災法一二条三項(昭和四八年九月二一日法律第八五号による改正前のもの)は、「長期傷病補償給付は、療養補償給付を受ける労働者の負傷又は疾病が療養の開始後三年を経過してもなおらない場合における当該労働者に対し、政府が必要と認める場合に行う。」旨規定しており、当時の同法施行規則(以下「労災規則」という。)一八条は、「所轄労働基準監督署長は、長期傷病補償給付を行うことを決定することについて必要があるときは、労働者から所定の事項を記載した届書を提出させるものとする。」旨規定している。

(2) 本件監督署の署長は、昭和四七年一月二九日、原告昌子に対し、「労災保険給付の決定について必要がありますので、あなたが療養を受けている業務上の傷病の状態等について同年二月一九日までに所定の届書を提出されるよう労災規則一八条の規定に基づいて通知します。」旨の内容の「傷病の状態等に関する届書の提出について」と題する通知書を発送し、右通知書は、同月一二日、原告昌子に到達した。そこで、同原告は、同月一七日、本件監督署の署長に対し、「傷病の状態等に関する届」を添付書類とともに発送し、右書面は、そのころ、本件監督署の署長に到達した。

(3) ところで、原告昌子は、昭和四四年四月二八日に療養を開始したのであるから、昭和四七年四月二八日をもって療養開始から三年間が経過することになるにもかかわらず、本件監督署の署長が発した右通知書に記載された届書の提出期限は、これより二か月早いものであり、同署長の右処置は不当なものであった。

(六)(1) 原告昌子は、昭和四七年二月二八日、本件監督署高野栄次郎作成名義の同月二三日付けの「認定検査について」と題する受診命令(以下「本件受診命令」という。)の送付を受けたが、同命令は、検査日時を同年三月八日午前九時から午前一〇時までと指定し、また、「予約ずみのため、日時の変更は出来ません。同封した東京労災病院あての封筒を必ず持参して下さい。忘れると受検できません。」と指示していた。

(2) ところで、本件受診命令は、労災法四七条の二(昭和四八年九月二一日法律第八五号による改正前のもの)に基づいて発せられたものであるところ、当時の労災規則五一条の二は、受診命令は、所轄労働基準監督署長が文書によって行うものとする旨規定しているが、本件受診命令は、本件監督署の署長名義によらないもので、違法なものであった。

(3) また、労働省労働基準局長通牒昭和四〇年七月三一日基発第九〇六号及び昭和四一年二月一日基発第九八号「保険給付の一時差止めについて」三項は、「受診命令を発する場合には、命令を受けた者が正当な理由がなく命令に従わない場合には保険給付を一時差し止めること及び命令を受けた者が命令を実行すべき期日又は期限までに命令を実行することができない理由がある場合には必ずその旨の申立てを行うべきこと等を明示しなければならない。」旨規定しているにもかかわらず、本件受診命令には、右教示が記載されておらず、違法なものであった。

(4) 更に、労働省労働基準局長通牒昭和四五年五月二七日基発第四一四号「受診命令の取扱いについて」の「3費用の支出」は、受診者が要した旅費については、労働保険審査官及び労働保険審査会法施行規則五条一項に準ずる額の支出が認められる旨規定しているにもかかわらず、本件受診命令には、右旅費請求の教示が記載されておらず、違法なものであった。

(七)(1) 原告昌子は、本件受診命令の違法性を知らないまま、これに従って、昭和四七年三月八日、東京労災病院に行き、同月一三日から同月二三日までの間、同病院に入院して検査を受けたが、本件監督署の署長は、同年四月一七日、右検査内容が甚だ偏頗なものであったにもかかわらず、右検査結果に基づき、原告昌子の本件傷害は同月二〇日をもって治癒したとして取り扱う旨の決定(以下「本件治癒認定」という。)をし、原告昌子に対し、右の旨を記載した「治ゆの認定について」と題する書面を発送し、右書面は、同月二〇日、原告昌子に到達した。

(2) ところで、本件治癒認定は、原告昌子が本件傷害を負った日から三年間が経過するより前にされたものであるうえ、原告昌子が当時谷口整形外科医院(以下「谷口医院」という。)で治療を受けていたことが明らかであるのにこれを無視してされたものであり、更に、原告昌子に対してされた右認定の通知には不服申立てについての教示の記載もなく、「治ゆ日後、同封の障害補償給付請求書を提出して下さい。」旨の記載がありながら何も同封されていなかった。このように、本件監督署の署長のした本件治癒認定及びこれに基づく長期傷病補償給付への移行の決定処分の懈怠は、裁量権の濫用によるものというべきであり、憲法二五条に違反する不当なものであった。

(八) 本件監督署の署長は、昭和四七年四月一七日、被告弘済会上野営業所に対し、「治ゆの認定について」と題する書面を送付し、また、被告弘済会に対し、「治ゆ認定について」と題する書面をもって、原告昌子の同月二一日以降の休業を私傷病による欠勤扱いとするよう指導し、被告弘済会が、原告昌子の右同日以降の休業を、私傷病による欠勤扱いに切り替える口実を与えた。

(九)(1) 労働省労働基準局長通牒昭和四一年一二月一六日基発第一三〇五号一は、労災保険の給付と自賠保険の支払との先後の調整について、「自賠保険に対し、被害者から損害賠償額の支払の請求が行われた場合には、自賠保険の支払を先行させる。」旨規定している。

(2) そこで、本件監督署の担当官である伊藤信夫は、原告昌子の法律の無知に乗じ、労災保険給付の請求を自賠保険支払の請求へ移行させて原告昌子と労災保険との関係を断ち切ることを意図し、原告昌子が、労災保険について請求して労災保険給付を受けており、自賠保険については一切請求していないにもかかわらず、昭和四七年四月二〇日、原告昌子に対し、「障害補償給付について、先に治ゆ日後障害補償の請求をするように連絡しましたが、この補償は自賠保険でも支給(労災より多額)されますので、自賠保険に請求されるよう願います。なお、自賠保険と労災保険は重複して支給されません。」旨記載した葉書による通知を行ったが、右通知は、公序良俗に反するものである。

6  原告昌子の損害

原告昌子は、被告弘済会の本件雇傭契約に基づく安全配慮義務の懈怠及び本件雇傭契約の一方的破棄並びに被告弘済会と被告国の公務員との共同不法行為により、本件傷害を負ったうえ、これを私傷病扱いとされ、被告弘済会を解雇されたため、以下のとおり合計一億八三六六万四六四五円の損害を被った。

(一) 逸失利益 一億五一三二万五七〇三円

原告昌子が本件事故当時被告弘済会から支払を受けていた一か月当たりの賃金は、平均四万二一〇四円であったが、昭和四四年度から昭和四七年度までの被告弘済会の職員の平均昇給率を用いて計算すると、原告昌子の昭和四七年五月一日現在の一か月当たりの賃金は、八万七八五八円となっていたはずである。

したがって、原告昌子が定年に達する昭和七三年三月三一日まで勤続した場合、その得べかりし総賃金の額は、昭和四七年五月一日から昭和五二年三月三一日までの賃金については被告弘済会の職員の平均昇給率を、昭和五二年四月一日以降の賃金については毎年一〇パーセントと仮定した昇給率をそれぞれ基礎として、被告弘済会が弁済供託している昭和四七年五月一日から昭和五二年四月三〇日までの賃金額の三五パーセントに相当する金額を控除したうえ中間利息の処理についてホフマン方式を用いて計算すると、別紙計算表記載のとおり一億五一三二万五七〇三円となる。

原告昌子は、本件傷害を受け、これを私傷病扱いとされたうえ、被告弘済会を解雇されたことにより、右同額の損害を被った。

(二) 退職金相当額 二〇九五万六一一二円

被告弘済会の退職金規定によれば、歩合給による者の退職金の額は、退職の日における一か月当たりの基本給の額を六五パーセント増額した金額に、勤続年数に応じた支給率を乗じて得られる額とされているが、原告昌子が定年に達するまで勤続した場合、退職の時における一か月の賃金は一三一万五七八一円であり、そのうち基本給の占める割合は三〇パーセントを下回ることはなく、また、勤続年数は三八年になるところ、これに見合う支給率は七七・八であるから、中間利息の処理についてホフマン方式を用いて退職金の価額を計算すると、次のとおり二七三六万二九〇二円となる。

131万5781円×0.3×(1+65/100)×77.8×0.54=2736万2902円

原告昌子は、被告弘済会を解雇されたことにより、右額から、鉄道荷物に対して請求している五〇〇万円及び被告弘済会が弁済供託している一四〇万六七九〇円を控除した残額二〇九五万六一一二円の退職金相当額の損害を被った。

(三) 治療費 一一三万二八三〇円

原告昌子は、被告弘済会を解雇されたため、健康保険被保険者資格を喪失し、そのため、本件傷害の治療費として自己負担を強いられた額は、合計一一八万三七五〇円であり、右額から鉄道荷物に対して請求している五万〇九〇〇円を控除した残額一一三万二八五〇円の損害を被った。

(四) 慰謝料 一〇〇〇万円

原告昌子は、業務上負傷し、治療継続中にもかかわらず、被告らの一方的かつ悪意に満ちた仕打ちにより、症状が固定したとの扱いを受け、解雇理由もないのに被告弘済会を解雇されて将来の職を失ったのであり、被告らの右行為によって死ぬ以上の苦しみを経験し、その状態は今後一生続くものであるから、原告昌子の右苦痛を金銭に評価すると、一〇〇〇万円を下ることはない。

(五) 弁護士費用 二五万円

原告昌子は、本件訴訟代理人であった弁護士池田桂一に対し、着手金として二五万円を支払った。

7  原告亨の損害

原告高橋亨(以下「原告亨」という。)は、原告昌子の兄であるが、被告弘済会及び被告国の公務員の前記共同不法行為により、以下のとおり合計一二五万円の損害を被った。

(一) 慰謝料 一〇〇万円

原告亨は、原告昌子の受傷後、同原告の日常生活の面倒はおろか、関係官庁や被告弘済会に対する陳情又は要請等のため、日夜を分かたず同人に代わって飛びまわり、被告らの誠意のない態度により精神上の苦痛を被ったが、右苦痛は今後一生ぬぐい去ることのできないものであり、これを金銭に評価すると、一〇〇万円を下ることはない。

(二) 弁護士費用 二五万円

原告亨は、本件訴訟代理人であった弁護士池田桂一に対し、着手金として二五万円を支払った。

8  よって、原告昌子は、被告弘済会に対しては本件雇傭契約の債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告国に対しては国家賠償法一条による損害賠償請求権に基づき、被告らが連帯して一億八三六六万四六四五円並びに内金三二二七万二三〇二円に対する弁済期及び不法行為の日の後である昭和五六年九月六日から、内金一億五一三九万二三四三円に対する同じく弁済期及び不法行為の日の後である昭和五九年二月一日から、それぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを、原告亨は、被告弘済会に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告国に対しては国家賠償法一条による損害賠償請求権に基づき、被告らが連帯して一二五万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五六年九月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

(被告弘済会)

1 請求原因1の事実は、認める。

2 同2の事実のうち、原告昌子が原告ら主張の日時に本件売店において販売員として勤務していたこと及び鉄道荷物の社員である平運転の幌付き貨物自動車が後進してきて本件売店に接触したことは認めるが、その余は否認する。

本件事故は、右自動車の幌枠と本件売店の屋根とが接触したというもので、衝撃の程度も「衝突」というほど強度のものではなく、また、右衝撃により本件売店の棚に陳列してあった書籍は落下した模様であるが、棚板まで落下したことはなく、したがって、棚板が原告昌子の腰部を強打したこともない。

更に、原告昌子から被告弘済会に対して提出された診断書に記載された病名は腰部打撲にすぎず、現に、原告昌子は、事故当日の昭和四四年四月二四日、同月二五日、同月二七日及び同月二八日に、いずれも出勤して勤務をしており、異常を訴えることもしていないのであって、同原告が脊椎損傷の傷害を負ったとは考えられない。

3 同3は、争う。

鉄道荷物は、被告弘済会の運送請負人であり、被告弘済会とは別個独立の法人であるから、被告弘済会が、鉄道荷物に対し、車両運転者への安全教育を徹底させ、運転者が車両を後退させる場合には誘導員を配置する等の十分な安全策を講じさせるべき義務は負わないし、また、後方注意義務等自動車運転者が道路交通法上当然に負うべき注意義務を怠った場合をも予測して売店の陳列棚を固定すべき義務も負わない。売店の棚板を固定しないのは、陳列する商品の大小によって棚板を上下に移動させ、その時の便宜に応じた陳列を可能ならしめるためであって、駅売店における棚板の設置方法としては右で十分というべきである。

4 同4の事実のうち、昭和四九年当時の被告弘済会の就業規則に原告ら主張のとおりの規定があること及び被告弘済会が昭和四七年四月二一日以降の原告昌子の傷害について本件事故とは相当因果関係のない私傷病として扱い、昭和四九年一一月一五日(遅くとも同年一二月二三日)、同原告を解雇したことは認めるが、その余は否認する。

原告昌子は、本件事故に基づく傷害が、昭和四七年四月二〇日には治癒し、同月二一日以降は就労が可能であったにもかかわらず、出勤しなかったが、被告弘済会は、原告昌子の利益のため、同月二一日以降の欠勤を本件事故とは相当因果関係のない私傷病によるものとして取り扱うこととして、原告昌子に対し、当時の被告弘済会の就業規則六二条一号の、職員の私傷病による欠勤が引き続き一八〇日に達し、被告弘済会職員給与規程四六条所定の給与支給期間を経過したときには、当該職員に対し、期間を定めて休職を命ずるとの規定に基づき、休職期間を同規則六三条一項ハ号本文の定める最高限度である二年間と定めて休職を命じ、昭和四九年一〇月一六日、同原告に対し、休職期間満了による解雇の予告をしたうえ、同年一一月一五日(遅くとも同年一二月二三日)、同原告を解雇したのである。仮に右解雇が予告期間ないし予告手当の点において無効であるとしても、同年一〇月一六日の解雇の予告から労働基準法二〇条所定の三〇日の期間を経過した同年一一月一五日に解雇の効力が生じたというべきである。

なお、昭和四九年当時の被告弘済会の就業規則五六条三号、五七条及び六三条一項ハ号本文は、職員が休職期間の最高限度満了後も休職した場合には、解雇手続を経ることなく当然退職となると規定しているから、仮に右各解雇の意思表示が無効であるとしても、原告昌子は、昭和四九年一〇月一七日の休職期間の満了により当然退職したものというべきである。

また、仮に原告昌子の本件傷害が昭和四七年四月二〇日当時治癒していなかったとしても、被告弘済会は、東京労災病院が精密検査の結果原告昌子の本件傷害は治癒した旨診断し、本件監督署も同様の認定をして被告弘済会に通知した結果に基づき、原告昌子の右傷害は治癒したものと判断したのであって、被告弘済会の右判断に過失はなかったというべきである。

5 同5の冒頭部分及び同5(一)の事実のうち、被告弘済会に関する部分はいずれも否認し、その余は知らない。同5(二)ないし(七)は、争う。同5(八)の事実のうち、本件監督署の署長が昭和四七年四月一七日被告弘済会上野営業所に対して原告ら主張のとおり「治ゆの認定について」と題する書面を送付したことは認めるが、その余は否認する。同5(九)は、争う。

6 同6の冒頭部分は、否認する。

(一) 同6(一)の事実のうち、原告昌子が本件傷害を負う前三か月間(昭和四四年一月から同年三月まで)に被告弘済会から一か月平均四万二一〇四円の賃金の支払を受けていたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同6(二)の事実のうち、被告弘済会の退職金規定に歩合給による者の退職金の額はその者の退職の日における一か月当たりの基本給の額を六五パーセント増額した金額に勤続年数に応じた支給率を乗じて得られる額とする旨定められていることは認めるが、その余は否認する。

(三) 同6(三)ないし(五)の事実は否認し、その主張は争う。

7 同7の事実は否認し、その主張は争う。

(被告国)

1 請求原因1の事実は、認める。

2 同2の事実のうち、原告昌子が原告ら主張の日時に本件売店において販売員として勤務していたこと及び平運転の幌付き貨物自動車が後進してきて本件売店に衝突し、その衝撃により書籍類及び棚板が落下して原告昌子の腰部に当たり、同原告が負傷したことは認めるが、その余は知らない。

3 同5の冒頭部分の事実のうち、本件監督署の署長及び担当官が被告国の公務員であることは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

(一) 同5(一)の事実のうち、被告弘済会から本件監督署に対して本件事故報告が原告ら主張のとおりされたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同5(二)(1)の事実は、認める。同5(二)(2)の事実のうち、警察署に対して本件事故の報告がされなかったことは知らず、本件事故についての平の報告書と原告昌子の第三者行為災害届とで、各記載の平の住所が異なっていることは認めるが、その余は否認する。同5(二)(3)の事実は否認し、その主張は争う。

(三) 同5(三)及び(四)は、争う。

(四) 同5(五)(1)及び(2)の事実は、認める。同5(五)(3)は、争う。

労働基準監督署長は、長期傷病補償給付を労働者の療養開始後三年間を経過した時から直ちに支給するため、少なくとも療養開始後三年間を経過する前に労働者の傷病の状態等について把握していなければならないところ、いつまでに労働者からその傷病の状態等に関する届出を徴して右傷病等の状態について把握しておくかは労働基準監督署長の裁量に委ねられている。したがって、本件監督署の署長の措置には何ら不当な点はない。

(五) 同5(六)(1)の事実は認めるが、原告ら主張の通知書が受診命令であるとの主張は争う。同5(六)(2)の事実のうち、原告ら主張の当時の労災規則五一条の二にその主張のとおりの規定が存することは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。同5(六)(3)の事実は認めるが、その主張は争う。同5(六)(4)の事実のうち、原告ら主張の通達に旅費請求の教示をすべき旨の定めがあることは否認するが、その余は認め、その主張は争う。

原告昌子が受領した「認定検査について」と題する書面は、本件監督署所属の高野栄次郎が、原告に対して労災法四七条の二(昭和四八年九月二一日法律第八五号による改正前のもの)に基づく受診命令を発する前段階において、原告昌子が自主的に受診するように協力を求めた連絡文書にすぎない。

(六) 同5(七)(1)の事実のうち、東京労災病院の検査の内容が甚だ偏頗なものであったことは否認するが、その余は認める。同5(七)(2)の事実のうち、本件治癒認定が原告ら主張の時期にされたこと及び原告昌子に対する通知に不服申立ての教示についての記載がなかったことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

本件監督署の署長が本件治癒認定をしたのは、原告昌子が提出した「傷病の状態等に関する届」に添付されていた谷口修医師(以下「谷口医師」という。)作成の診断書に「治療効果なし」との記載があったこと、東京労働基準局医員久保田栄から既に原告昌子の本件傷害の症状は固定していると判断できる旨の意見を得たこと及び東京労災病院の松元司医師(以下「松元医師」という。)からも本件傷害の症状は固定し治療効果は期待できない旨の意見を得たことによるもので、何ら違法、不当な点は存しない。

(七) 同5(八)の事実のうち、本件監督署の署長が被告弘済会の上野営業所に対して原告ら主張のとおり「治ゆの認定について」と題する書面を送付したことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

被告国が、労働者を直接雇用し労災保険の保険加入者である当該事業主に対し、業務上の傷病が治癒したと認められる場合にその旨の通知をすることは、事業主の事務処理の便宜等を考慮して、一般的に行っている措置であり、事業主がこれをどう利用するかは、被告国の全く関知しないところである。

(八) 同5(九)(1)の事実及び同5(九)(2)の事実のうち本件監督署の担当官である伊藤信夫が昭和四七年四月二〇日原告昌子に対して原告ら主張のような通知をしたことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

4 同6の冒頭部分の事実は否認し、その主張は争う。同6(一)ないし(三)の事実は知らず、その主張は争う。同6(四)の事実は否認し、その主張は争う。同6(五)の事実は、知らない。

5 同7(一)の事実は否認し、その主張は争う。同7(二)の事実は、知らない。

三  抗弁

(被告弘済会)

1(一) 本件雇傭契約は、商人である被告弘済会の営業のためにする附属的商行為に該当するところ、原告らの主張する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は右附属的商行為によって生じたものであるから、その消滅時効期間は五年間であり、その起算点は、本件事故が発生した昭和四四年四月二四日であるところ、右の日から既に五年間を経過した。

(二) 仮に右請求権の消滅時効期間が一〇年間であるとしても、前記の日から既に一〇年間を経過した。

2 また、原告らの主張する不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は三年間であるところ、請求原因3の本件事故に基づく損害賠償請求については原告らが損害及び加害者を知った本件事故の日である昭和四四年四月二四日から、請求原因4の解雇に基づく損害賠償請求については原告らが損害及び加害者を知った解雇の日である昭和四九年一一月一五日から、請求原因5の各事由に基づく損害賠償請求については原告らが主張する各不法行為の日から、それぞれ既に三年間を経過した。

3 被告弘済会は、本訴において、右各消滅時効を援用する。

(被告国)

1 原告らは、昭和四九年一一月一五日、被告弘済会が原告昌子を解雇した時点において、原告ら主張の不法行為の損害及び加害者を知り得たところ、右同日から既に三年間を経過した。

2 被告国は、本訴において、右消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

すべて否認する。

五  再抗弁

原告らが、被告らの各不法行為について損害及び加害者を知ったのは、昭和五三年八月二五日から昭和五四年一月二四日までの間であり、原告らは、昭和五六年八月一八日、本訴を提起した。

六  再抗弁に対する認否

(被告弘済会)

原告らが昭和五六年八月一八日本訴を提起した事実は認めるが、その余は否認する。

(被告国)

右同旨。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりである。

理由

一  本件の概要

請求原因1の事実、原告昌子が昭和四四年四月二四日午前一一時ころ東京都千代田区所在の国鉄秋葉原駅の西口構内に設置された本件売店において販売員として勤務していたところ、平運転の幌付き貨物自動車が後進して来て本件売店に接触したこと、本件監督署の署長が昭和四七年四月一七日被告弘済会上野営業所に対して「治ゆの認定について」と題する書面を送付したことはいずれも当事者間に争いがなく、請求原因5(五)(1)及び(2)の事実、原告昌子が同年二月二八日本件監督署の高野栄次郎作成名義の同年三月八日午前九時から午前一〇時までの間に東京労災病院で検査を受けるよう指示した「認定検査について」と題する同年二月二三日付けの書面を受領したこと、原告昌子が同年三月八日東京労災病院に行き、同月一三日から同月二三日までの間同病院に入院して検査を受けたこと、本件監督署の署長は同年四月一七日本件治癒認定をするとともに、原告昌子に対して右認定の内容を記載した「治ゆの認定について」と題する書面を発送し、右書面は同月二〇日原告昌子に到達したことは原告らと被告国との間には争いがなく、被告弘済会が同月二一日以降の原告昌子の傷害について本件事故との相当因果関係のない私傷病として取り扱ったこと、原告昌子が昭和四九年一一月一五日被告弘済会を解雇されたことは原告らと被告弘済会との間に争いがないところ、右争いのない事実と、(証拠略)、原告昌子本人尋問の結果(以下「原告昌子供述」という。後記信用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨とを総合すると、次の事実が認められ、北尾証言及び原告昌子供述中右認定に反する部分はいずれも信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告昌子は、昭和三五年一〇月一五日、被告弘済会との間に本件雇傭契約を締結し、昭和四四年四月二四日午前一一時ころは、東京都千代田区所在の国鉄秋葉原駅の西口構内に設置された本件売店において販売員として勤務していたが、中腰の姿勢で商品を陳列していたところ、同売店に雑誌を運んだ後次の配達先に荷物を運ぶため後進して来た鉄道荷物の社員である平運転の幌付き貨物自動車の幌が本件売店の日よけに接触し、その衝撃により、書籍類を載せてあった同売店の棚板が落下して、原告昌子の腰部に当たり、原告昌子は、腰部に傷害を負った。

しかし、原告昌子は、右同日はその後も予定どおり午後一〇時まで勤務を続けたほか、同月二五日も、予定どおり午前六時から午前九時まで勤務し、同月二六日は公休日で休んだが、その後も、予定どおり、同月二七日は午前九時から午後一〇時まで、同月二八日は午前六時から午前九時まで各勤務した。

2  原告昌子は、昭和四四年四月二八日、前記勤務を終えた後、医療法人成城木下病院(以下「木下病院」という。)に行って、腰部等の診察を受け、同月二九日以後は被告弘済会の勤務を欠勤した。その後、原告昌子は、同年五月二九日までの間に、一〇日間にわたり、木下病院に通院して、腰部湿布、投薬及び注射等の治療を受け、同月三〇日以後は、同年七月一七日までの間に、四二日間にわたり、稲田登戸病院に通院して、軟性コルセット等を用いての治療を受けた。

3  右2の間に、本件売店を含む被告弘済会上野営業所第三店の店長であり原告昌子が本件事故に遭った直後に本件売店を巡回に来た北尾農二は、被告弘済会上野営業所の人事係に対し、本件事故についてその現認者として「職務傷病現認書報告」と題する書面を提出し、被告弘済会上野営業所は、昭和四四年六月五日、本件監督署の署長に対し、本件事故について、「労働者死傷病報告」と題する書面を提出した。

4  原告昌子は、昭和四四年八月一日から同月一〇日までの間、電話番として被告弘済会の勤務に就いたが、その後再び欠勤し、同月一一日から同年九月一三日までの間に、七日間にわたり、日本赤十字社中央病院に通院して治療を受け、同月二〇日からは、谷口医院に通院して、その治療を受けるようになった。

なお、この間に、原告昌子は、同年九月ころ、労災保険の給付を受けるのに必要な手続をし、その後、労災保険の受給を開始した。

5  本件監督署の署長は、昭和四七年一月二九日、当時の労災法一二条三項の規定により原告昌子に対して長期傷病補償給付を行う必要があるか否かを判断するため、労災規則一八条により、原告昌子に対し、同年二月一九日までに本件監督署に対して右規則所定の事項を記載した「傷病の状態等に関する届」等を提出するよう促す「傷病の状態等に関する届書の提出について」と題する書面を発送し、右書面は、同月一二日、原告昌子に到達した。

そこで、原告昌子は、同月一七日、本件監督署の署長に対し、右「傷病の状態等に関する届」を、谷口医院の谷口医師作成の同月一六日付け診断書及び検査表並びに原告昌子の腰部のレントゲン写真を各添付のうえ発送し、右各書面は、同月二一日、本件監督署の署長に到達した。

6  次いで、本件監督署の高野栄次郎は、昭和四七年二月二三日、原告昌子に対し、同年三月八日午前九時から午前一〇時までの間に東京労災病院で検査を受けるよう協力を求める「認定検査について」と題する書面を発送し、右書面は、同年二月二八日、原告昌子に到達した。

そこで、原告昌子は、同年三月八日、東京労災病院に行き、同月一三日から同月二三日までの間、同病院に入院して検査を受けた。

7  本件監督署の署長は、昭和四七年四月一七日、東京労災病院の原告昌子に対する検査の結果等に基づいて、原告昌子が本件事故により負った傷害は、既に症状が固定し、治癒の状態に達したと考えられるので、同月二〇日をもって治癒したものとして取り扱う旨の内容の「治ゆの認定について」と題する書面を発送し、右書面は、同月二〇日、原告昌子に到達した。

また、本件監督署の署長は、そのころ、被告弘済会上野営業所に対しても、右同旨の内容の「治ゆの認定について」と題する同月一七日付け書面を発送し、右書面は、同年五月四日、被告弘済会上野営業所に到達した。

被告弘済会は、本件監督署の署長から右書面を受領した後、原告昌子が本件事故により負った傷害は同年四月二〇日をもって治癒し、原告昌子の同月二一日以降の欠勤は本件事故とは相当因果関係のない私傷病によるものとして取り扱うこととし、更に、同年一〇月一八日、原告昌子に対し、被告弘済会の就業規則六二条一号の規定により、同規則六三条一項ハ号本文の定める基準の範囲内で二年間との期間を定めて休職を命じた。

8  そして、被告弘済会は、昭和四九年一〇月一二日、原告昌子に対し、同月一七日に前記休職期間が満了するとともに被告弘済会の就業規則五六条三号の規定により原告昌子を解雇する旨の内容の書面を発送し、右書面は、同月一六日、原告昌子に到達した。その後、被告弘済会は、右規則五七条一項、五六条三号により原告昌子を解雇することに取扱いを改め、原告昌子は、前記書面到達後三〇日を経過した日である同年一一月一五日、被告弘済会を解雇された。

二  被告弘済会の原告昌子に対する安全配慮義務違反の有無について

まず、本件売店及び同売店内に設置された棚の構造について検討する。北尾証言によれば、本件売店は、間口約二メートル、奥行き約一・五メートル、総重量約四五〇キログラムの木造平家建ての建物であり、その前面には鉄パイプで作った骨格にテント地の布を張った約一メートルの日よけが設置してあること、本件売店の奥の壁には、商品である書籍等を陳列又は保管するため、中央の仕切りを挾んで左右各三段にわたり、長さ約八〇センチメートル、幅約二〇センチメートル、厚さ約二センチメートル、重さ約二キログラムのラワン材の板を用いて可動式の棚が設置してあったこと、右棚は、陳列等すべき書籍等の大きさに応じて設置位置が変えられるように、本件売店の壁又は中央の仕切りの所定の穴にはめこんで固定された左右二個ずつの頭部の長さが約一センチメートルのビスの上に棚板の両端を載せて固定する構造となっており、棚板の両端のビスに接する部分には、特に溝等は付けられておらず、棚板と本件売店の壁又は中央の仕切りとの間には約五ミリメートルほどの遊びがもたせてあったことが認められるところ、右認定の棚板の設置方法は、本件売店内における右棚の設置目的及び右棚の通常の使用方法等に照らし、直ちに落下等する危険性があるとはいえず、相当なものであったということができる。

ところで、原告昌子は、平運転の幌付き貨物自動車と本件売店とが接触した衝撃により落下した棚板等が腰部に当たって、傷害を負うに至ったことは前記認定のとおりであるが、(証拠略)及び原告昌子供述によれば、平は、本件売店が国鉄秋葉原駅西口構内の駅前広場に面した人通りの多い場所に設置されているにもかかわらず、後方を十分確認しないまま右幌付き貨物自動車を後進させて、右自動車を本件売店に接触させてしまったことが認められるところ、被告弘済会としては、右のように自動車運転者がその基本的注意義務を怠った運転をして自動車を本件売店に接触させるという異常な事態をも予見して、本件売店の棚板を前記認定したところより更に厳重に固定すべき義務を負っていたとまでは直ちにいうことができない。

また、弁論の全趣旨によれば、被告弘済会は鉄道荷物に対して同被告の売店等に商品等の荷物を配達すること等を請け負わせていたことが認められるが、右一事により、被告弘済会が、鉄道荷物に対し、同被告の職員の安全確保のために、鉄道荷物の社員である自動車運転者について安全運転教育の徹底等の措置を講じさせるべき義務を当然に負うとはいえず、他に被告弘済会に本件雇傭契約に基づき原告昌子に対してその安全確保のために信義則上負うべき義務について懈怠が存したと認めるに足りる証拠はない。

三  原告昌子の解雇の適法性について

被告弘済会は、昭和四七年五月四日、本件監督署の署長から、原告昌子が本件事故により負った傷害は既に治癒の状態に達したと考えられるので同年四月二〇日をもって治癒したとして取り扱う旨の内容の「治ゆの認定について」と題する書面を受領し、原告昌子の傷害は右同日をもって治癒したものとして取り扱い、右同日より後の傷害は本件事故とは相当因果関係のない私傷病として取り扱うこととしたうえ、同年一〇月一八日、原告昌子に対し、二年間の期間を定めて休職を命じ、昭和四九年一一月一五日、原告昌子を解雇したことは、前記認定のとおりである。

そこで、まず、被告国及び被告弘済会が原告昌子の傷害についてした治癒の認定の当否について判断する。原告昌子は、昭和四四年四月二八日、木下病院で本件事故により負った傷害について初めて診察を受けたことは前記認定のとおりであるところ、(証拠略)によれば、木下病院の岩井芳次郎医師は、同年五月一日、原告昌子の傷害について、腰部打撲傷のため今後二週間の通院加療を要する見込みであるとの診断をしたことが、(証拠略)によれば、前記認定のとおり原告昌子がその後通院して治療を受けた稲田登戸病院においては、原告昌子の傷害について、腰部挫傷との診断をしたことが、(証拠略)によれば、前記認定のとおりその後原告昌子が通院して治療を受けた日本赤十字社中央病院の大沢健一医師は、同年九月一一日、原告昌子の傷害について、腰部打撲症のため今後二週間の静養加療を要するとの診断をしたことが、なお、(証拠略)によれば、原告昌子は、同月一六日、本件事故により中程度の症状の腰部打撲傷を負った旨の内容の第三者行為災害届を作成し、同月一八日、本件監督署の署長に対し、右届を提出したことが各認められる。ところで、(証拠略)によれば、前記認定のとおり原告昌子が同月二〇日以後通院して治療を受けた谷口医院の谷口医師は、昭和四七年二月二一日、原告昌子の本件監督署の署長に対する休業補償給付請求書上に、原告昌子の傷害は脊椎損傷である旨の証明をしたことが、(証拠略)によれば、谷口医師は、前記認定のとおり原告昌子が同年二月二一日本件監督署の署長に対して「傷病の状態等に関する届」とともに提出した同月一六日付け診断書においても、原告昌子の傷害について、不完全な脊椎損傷である旨診断していることが各認められるが、(証拠略)によれば、前記認定のとおり谷口医師により作成され右診断書とともに本件監督署の署長に対して提出された検査表には、エックス線検査の所見によれば原告昌子の脊椎像は正常である旨の記載が存することが、(証拠略)によれば、東京労災病院の松元医師は、昭和四七年三月二四日、前記認定のとおり原告昌子が同月一三日から同月二三日までの間東京労災病院で受けた検査の結果に基づき、原告昌子の傷害について、腰部打撲であるとの診断をし、右診断内容を記載した「意見書の提出について」と題する書面を作成したことが、(証拠略)によれば、谷口医師は、昭和五二年五月二五日、原告昌子の傷害について、脊椎、腰、頸部打撲傷であり、昭和四七年四月二八日当時エックス線検査の結果には異常が認められなかった旨の内容の診断書を作成していることが各認められ、以上によれば、前記谷口医師の原告昌子の傷害についての脊椎損傷であるとの診断はにわかに信用し難いといわざるを得ず、原告昌子が本件事故により負った傷害は、腰部打撲傷であったと認めるのが相当である。

そして、(証拠略)によれば、谷口医師は、前記昭和四七年二月一六日付け診断書において、原告昌子は、腰椎周辺の疼痛、両下肢痛、下肢のしびれ感等の症状を訴えているが、全身状態は良好であり、労作、運動時に腰、両下肢に痛みがあるだけで、知覚障害及び麻痺はなく、超短波、湿布、マッサージ等の方法により機能訓練をしても、治療効果は認められない旨記載していることが、(証拠略)によれば、東京労働基準局の医員である久保田栄は、同月二二日、前記認定のとおり原告昌子が同月二一日本件監督署の署長に対して提出したレントゲン写真等を検討して、原告昌子の腰椎には、容易に腰痛を起こし得べき老人性変形が存することが認められるが、損傷は認められないから、原告昌子が本件事故により負った傷害は腰部打撲症であったと見るべきであり、右傷害は既に治癒していると判断される旨の「病状についての意見書」と題する書面を作成していることが、(証拠略)によれば、松元医師は、前記「意見書の提出について」と題する書面中で、前記認定のとおり東京労災病院が原告昌子に対してした検査の結果に基づき、原告昌子は過敏的腰部痛、運動制限、両下肢痛等の症状を訴えるところ、エックス線検査の結果、腰椎等に年令相応の変形が認められたものの、他に特に異常な所見はなく、精神的な原因に基づくと思われる神経症状が認められる状態で、既に本件事故による傷害は治癒しており、後遺障害は一二級一二号に相当すると考える旨の意見を記載していることが、そして、(証拠略)によれば、本件監督署の署長は、前記認定の谷口医師作成の診断書及び検査表、レントゲン写真、久保田栄作成の「病状についての意見書」並びに松元医師作成の東京労災病院での検査結果に基づく「意見書の提出について」と題する書面等を考慮しつつ、原告昌子の本件事故に基づく傷害は、既に症状が固定していると認め、同年四月二〇日をもって治癒したものとして取り扱うのが相当である旨の判断をしたことが各認められ、(証拠略)によれば、原告昌子は、同月二八日当時体幹の屈曲伸展時に背、腰痛等を訴えるものの、脊椎の関節運動範囲は、前屈、右屈及び左屈について各一四〇度、後屈について一五五度という状態であったことも認められる。(なお、原告らは、前記認定の東京労災病院が原告昌子に対してした検査の内容は、甚だ偏頗なものであった旨主張するが、右のように認めるに足りる証拠はない。)

以上によれば、本件監督署の署長が被告昌子についてした前記治癒の認定は相当であったということができ、被告弘済会が、原告昌子の本件事故による傷害は既に症状が固定し治癒したものと認定し、更に、原告昌子は就労可能であると判断したことも、やはり相当であったということができる。

また、被告弘済会と本件監督署の署長及び担当官とが原告昌子を解雇するために共謀したとの事実を認めるに足りる証拠はなく、原告らが請求原因5において主張する本件監督署の署長及び担当官の処置等に関するその余の違法事由は、いずれも被告弘済会のした解雇の適法性について影響を与えるものではなく、失当といわざるを得ない。

してみると、その後、被告弘済会が、原告昌子の昭和四七年四月二一日以降の傷害を本件事故とは相当因果関係のない私傷病と判断したうえ、原告昌子に対し、就業規則等に基づいてした前記認定のとおりの各取扱いは、いずれも相当であったと認められ、他に被告弘済会が原告昌子に対してした解雇及びそれに至るまでの手続について違法な点が存したと認めるに足りる証拠はない。

四  結論

以上のとおり認定説示したところによれば、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井健吾 裁判官 寺尾洋 裁判官 八木一洋)

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